良くも悪くも覚えやすい名前
「免色さん」と私は頭の中で二つの漢字を並べてみた。なんとなく不思議な字の組み合わせだ。「色を免れる」と男は言った。「あまりない名前です。うちの親族を別にすれば、ほとんど見かけません」「でも覚えやすい」「そのとおりです。覚えやすい名前です。良くも悪くも」
騎士団長殺し/ 7章/ 村上春樹
その男は、注文を取りにきたウェイターにペリエを注文した。ペリエはない、サンペレグリノならありますが。男はそれについて少し考え、それでいい、ライムを添えてもらえたら今週を幸せな気持ちで過ごせる、と付け加えた。喜んで、とウェイターが微笑む。
やがて男は、革のケースから一枚の名刺を取り出し、客人にそれを差し出した。名刺の素材はマホガニーで、ほのかに琥珀のような甘い香りがした。表にはただ一行、『肖像作家ナナシ』と、レーザーの熱で刻印された文字が書かれていた。電話番号もなければ、役職もない。木目に焼印で肖像作家ナナシ、ただそれだけだった。突きつけられた挑戦状のようだった。
「初めまして、ナナシと申します。良くも悪くも覚えやすい名前です」と、男は澄んだ声で言った。その声には初対面の相手をひとまずほっとさせるものがあった。「大丈夫です、安心してください。私はそれほど悪い人間じゃありません。あなたにひどいことをするつもりはありませんから」と、語りかけているように思えた。
言うまでもなく、ナナシというのは男の本名ではない。おそらくは名無しということなのだろう。人当たりは悪くないし、無口なわけでもないが、自ら進んで身の上話をしないため、結局一時間ほど話しても、ほとんど彼が何者かわからなかった。しかしそれは、彼に何か後ろめたいことがあったり、隠し事があるわけではなく、単に(話すことよりも)訊くことが、職業上の癖になっているようだ。確かに振り返れば、問いかけたことには何ひとつ隠さずに答えていた。
彼にとって大切なことは、あくまでも肖像の客体を輝かせることであり、製作において作者の情報(ないしは主張)は、余計な存在だと考えていた。フェルメールの描いた『真珠の耳飾りの少女』や、ティツィアーノの『鏡の前の女』、フラゴナールの『読書する女』のように、描かれた肖像のモデルが三人称単数(彼、彼女、それ)で呼ばれていることに違和感があった。それでは応援席で主役より目立つ松岡修造と同じではないかと。(もちろん自分は偉大な彼らと比較に値するような人物ではないが、それでも在り方の問題として)
またナナシは、主張の強い肖像画家が、呪われた死を迎える傾向があることに気付いていた。フェルメールは、戦争による経済難の煽りを受け、多額の負債を抱えて亡くなった。ティツィアーノは、黒死病(ペスト)で苦しみながら死んだ。フラゴナールは、アイスを食べて頭がキーンとなって絶命した。そういうわけで、彼はナナシを名乗るようになったようだ。なるほど法的にみれば正当防衛のようなものだろう。
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