2024-04-10

木坂健宣は常識を逸脱した広告を書いた

木坂健宣は、何もかも常識を逸脱した広告を書いた。

木坂は文章ひとつで勝負ができる稀代の広告屋だった。彼が一筆書けば、それがどのような類の商品であっても飛ぶように売れた。時計や車、住宅に旅行、形を持たない情報であっても、木坂がその気になれば、思い通りに大衆の欲を掻き立てることができた。エスキモーに氷を売るとか、砂漠でヒート・テック・タイツを売るなんてことも、(相手が人である限り)彼にとっては朝飯前だった。

木坂の広告は何もかも常識を逸脱していた。まず第一に、そこには文字以外に何もなかった。それは「特筆すべきことは何もなかった」とか、「注目に値するものはなかった」という話ではなく、もっと文字通りの意味で《文字だけ》だった。焦燥心を煽る派手な仕掛けも、購買意欲を唆るビジュアルも、期間限定のポップも存在せず、ただ白のページに工夫のない明朝体でつらつらと書かれているだけだった。冒頭の一文だけは、赤文字で記されていたので、一見しただけでは、挑戦状のようにも督促状のようにも見えた。

第二に、それは広告と呼ぶには相応しくないほど長文だった。PDFにして、10ページや20ページ(ときに40ページ)にも及ぶ読み応えのあるものだった。難解な経済の理論やドイツ観念論哲学の話題を持ち出すこともあったので、我々《見込み客》は、広告の内容を理解するために、わざわざ紙に印刷をして、携帯の電源を落とし、冷たい水で顔を洗って、正座で挑まなければならなかった。おまけに購入先のリンクや商品の価格は、本文と同じサイズの小さな文字で表示されるため、ときに一万文字を超える情報の海の底から、次のページに進む鍵を探し出さなければならなかった。それはどう好意的にみても意地悪だったし、大学入試のひっかけ問題の方が親切なくらいだった。しかしそれでも、木坂の広告は何億円もの購買に繋がっていた。

それだけの技術を持ちながら、木坂は自分のことを広告屋だと思っていなかった。2年か3年に一度、この世界を生きるのにお金が必要なことを思い出すと、仕方なく広告を書いたが、その何百倍もの時間(と情熱)をラグビーに費やしていたからだ。世界のありとあらゆる土地から希少なサプリメントを仕入れ、肉体の鍛錬を重ねていたので、40代に入ってもなお筋力と体力は右肩上がりに伸び続けていた。唯一の不幸は、彼があまりにも若い頃から広告屋としての才覚を発揮してしまったため、山のような依頼に忙殺され、ラグビーの戦士である自覚を忘れてしまっていたことだろう。彼がオール・ブラックスの猛者たちを華麗にあやす日が来ることを我々消費者一同は待ち望んでいる。

 

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コメント1件

  • 貴子 says:

    広告=写真(ビジュアル)と思い込んでいましたが、商品が気になったらどんな商品なのかまず写真で確認するものの、その商品の特徴やレビューはどうなのか?を検索するので、結局のところ文字情報に決定権があるということなのでしょう。
    それにしても木坂氏はとことん没頭される方のようで、ケーキが好きでケーキ作りはパティシエ並みなのだとか。
    ・ 木坂健宣の歴史 – 木坂健宣との対話より
    http://xn--nyq10oe1d72o.com/33.html
    広告屋、ラグビーの戦士、パティシエとこなす
    木坂氏は実は3つ子、いやそれ以上にいる方なのかもしれませんね。

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