倉貫徹は希少な宝石を絵の具につけた
倉貫徹は、希少な宝石や鉱石を絵の具につけた。
宝石商の倉貫は、ひと固まりのオパールを手に取ると、まるでチーズ・フォンデュに浸すみたいに躊躇いなく岩絵具に潜らせる。その宝石を筆のようにして、樹脂を塗ったキャンバスのうえにひと筋の道を描く。絵付けをする数刻、倉貫は自らの意志を介入させないことに気を配る。この星の地熱と圧力が何世紀もかけて生み出した結晶の尊さに比べれば、自分の美学など微塵子みたいなものだ。あくまでも、このオパールが示す道を知るために、結晶原石と交感しようと試みる。サーファーが波に身を委ねるように、あるいは巫女が精霊の声に耳を傾けるように。
倉貫が神を宿して描くその曲線美は、使われた鉱石以上に価値があり、高値で取引されていた。もともとは真理探究のために、田舎で独り始めたことだったが、噂が噂を呼び、世界から購入希望が絶えなくなった。今ではひとりの宝石蒐集家の手によって、部外者が購入できない厳格な体制まで取られている。手法だけ真似する者も現れたが、倉貫以外が描くと《眼のない仏像》や《誠意のない謝罪》のように致命的に何かが欠けるのだ。
倉貫は、宝石商の長男に生まれ、若い頃からそれを生業にしてきた。ダイヤモンドを中心に、ルビー、サファイヤ、瑪瑙にオパールと、あらゆる結晶を観察し続けてきた。地球が作った自然の造形物、崇高な結晶体、隙のない結晶構造を持ち、最も透明で、最も硬く、最も純粋な金剛石(ダイヤモンド)を手にすると、それだけで心が清められたような気がした。宝石や鉱石をアクセサリーとして身に付けるのではなく、他のやり方で触れられる方法はないだろうか。そのような思索から辿り着いたのが、結晶そのものを筆に変えてしまうという型破りな手法だった。石器時代の洞窟に手形を残す者がいたように、倉貫は結晶と一体化し、永遠に刻印しようと樹脂で閉じ込めた。
《響存》と名付けられた作品が、私の元に届けられたのは、ちょうど先週のことだった。倉貫の作品を複数所有する人物と知り合ったので、その者が音を上げるまで、耳元で「いいな、いいな」と囁き続けてみたら、ひと月も経たずに贈ってくれたのだ。キャンバスには、桃簾石(とうれんせき)の結晶が、風や水の力を借りて、未来に描くであろう生命の軌道が具現化されていた。手に触れたものを黄金に変えてしまうギリシャの王様のように、造形作家の手は、時計の針を何万年も進めることができるのかもしれない。
いま漫画「Dr.STONE」にハマっているので石のお話はタイムリーでした。時を超えて産出される宝石たちの表現方法、技法がこのような形であるとは驚きです。まるで石の”意思“を伝える伝道師のような方ですね。人との出会いがあるように、手元に来た石との対話を楽しんでみたいと思います。それにしても、ナナシさんの手元にある桃簾石の作品「みたいな、みたいな」