ただの物理的な反射に過ぎない
「だって毎日、鏡で自分の顔を見ているだろう?」「それとは違う」とユズは言った。「鏡で見る自分は、ただの物理的な反射に過ぎないから」
騎士団長殺し/ 3章/ 村上春樹
車で暮らすようになって、私がまず初めに取り掛かったのは、徹底した物の厳選だった。なにしろ収納スペースもろくにない、わずな空間で生活をするのだ。取っておけばこの先役に立つかもしれない、という物はひとつも残しておけない。おまけに私は、救いようもないほど神経質で、生活感を感じさせるものに重度のアレルギーがあった。暮らしに有用であり、なおかつ芸術的に美しい物となると、それはもう、犠牲者のご家族への精神的配慮まで行き届いた『狩りの上手いチーター』を見つけるようなものだった。
ロボット掃除機は捨てても構わないだろう。バカラのグラスは、確かにカットに品格は感じるが、割れると厄災を招くので不採用だ。美味しい炭火焼きができるソロ・ストーブも捨て難くはあるが、狭い密室で一酸化炭素はご勘弁だ。
私は厳格な裁判官となり、よほどのことがないと首を縦には振らなかった。釜炊きの炊飯器も、お喋りなスピーカーも、動きに合わせて風向きを変える冷房も、すべてに無慈悲な判決を下した。生活必需品の項目に分類されていたワイン・セラーだけは、最高裁まで健闘したが、消費電力の問題で泣く泣くお別れした。そうするうちに、私は段々と家電を憎むようになり、古くからあるものしか信用できなくなってきた。
手入れこそ必要だが、その揺らぎに虫たちさえも虜にしてしまうオイル・ランプ。塩の軽量が面倒ではあるが、計るたびに子ども心をくすぶる銅の天秤。吸水性に頼りなさはあるが、色使いに詩的な趣がある藍の手ぬぐい。気づけば私の周りには、何世紀も人類が使い続けてきた古典だけが残っていた。
私がとりわけ心を惹かれたのは、古いフィルム・カメラだった。それが描き出す最終的な成果物は、スマートフォンで撮った写真と同じ、ただの物理的な反射に過ぎない。しかしフィルムを現像した写真には、もっと深い意味のなにかが写っているように感じた。24枚しかシャッターを切れないという制約が、撮影者の心を律しているのかもしれない。余命を知らされた患者が、変わりのない食事を噛み締めて味わうように。
荷積めを終えた私の車は、古い海賊船の船室のようだった。マッチでランプに火を灯し、ぼんやりとしていると、まるで一人きりで海の底に座っているみたいに感じた。悪くない、これでとりあえずの行動が決定されたわけだ。ギヤがローに入り、何処に行くのかはわからないにせよ、状況がゆっくりと動き始めた。
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