かたちを変えた祝福
「Blessing in disguiseという英語の表現を知っているか?」「語学は不得意でね」「偽装した祝福。かたちを変えた祝福。一見不幸そうに見えて実は喜ばしいもの、という言い回しだよ。Blessing in disguise。で、もちろん世の中にはその逆のものもちゃんとあるはずだ。論理的には」
騎士団長殺し/ 8章/ 村上春樹
依頼された肖像を描き終えると、私はレーザー刻印機を取り出し、トランプと同じ大きさに加工したマホガニー材に、題名(タイトル)と鍵(コード)の二点を焼き付ける。刻印している間、部屋にはカカオ豆を炒ったような香ばしい薫りが漂う。あらかじめ用意しておいた封筒にそれを入れ、麻紐と封蝋で閉じてポストに投函すれば、私の仕事は一旦完了する。あとは囚われの身から解放されたディズニー・プリンセスがやるように、歌って踊って舞い上がる。
数日後。封筒を受け取った依頼者は、クリスマスの早朝に贈り物を見つけた子どものように、期待に胸を膨らませながら封を開ける。しかし、カードに刻印された題名を目にした途端、血の気が引き、ムンクの叫びのように青ざめる。風景は不気味に歪み、言葉にできない不吉な予感がする。なぜならそこに書かれた三行の題名は、自分を褒め称えようとするものではなく、むしろ、指を突き立てて非難する響きがあるからだ。「これからお前の悪いところを並べて読み上げるぞ」と。
ここで私に電話をかけてくる者もいる。こんな題名を付けるなんて、まるで趣味の悪いゴシップ誌じゃないか。サンタクロースから1ダースのマウス・ウォッシュを送られたような気分だよ、と。そんなとき、私は落ち着いた声で宥める。安心してください。そこに刻んだ言葉は、かたちを変えた祝福です。一見、害をなすものに見えるかもしれませんが、貴方の強い味方になってくれるものです。優等生の出来杉くんが、物語の主人公にはなり得ないように、貴方の美点を並べるのは容易いが、それだけでは魅力は伝わらない。どうか私を信じて、ホット・チョコレートでも飲みながらゆっくりとお読みください。
肖像を描くのに必要な能力は、言うまでもなく、客体の特徴を的確に捉える能力だが、それだけでは十分とは言えない。それだけだとただの似顔絵(カリカチュア)になってしまいかねない。生きた肖像を描くために必要とされるのは、相手の人柄の核心にあるものを見てとる能力である。
そして私が描かせていただく肖像は、ウェブ上に公開し、依頼主の名前を検索する第三者の目に触れることを前提にしている。他人がわざわざ読みたい(読んでしまう)と思うには、怪しく甘美な『撒き餌』が必要なこともある。いったい何処の誰が平和にこともなく生きて死んでいった川崎市立図書館員の物語を読むだろうか。要するに我々は代償行為を求めているのだ。
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