佐野麗佳は優等生であることを辞めた
佐野麗佳は、9年の義務教育を終えて、優等生であることを辞めた。
時間感覚をもたない海月(くらげ)が老後の心配をしないように、麗佳も《今この瞬間》だけに生きていた。月末の悩みは月末に悩めばよいし、老後の心配は老後に心配すればよい。いつか役に立つとか、この先必要になるといった売り文句は、全米が泣いたという宣伝くらい信用していなかったし、もしものための生命保険は来世の心配をするようなものだと考えていた。
彼女がそのような思想に至ったのは、ちょうど義務教育を終えた年だった。「勉強を頑張れば将来幸せになれる」という言葉を信じて、9年間も優等生を演じたのに、その先にいた《義務を終えた人たち》は、受験やら就活やら蓄財やら、誰も彼もが先のことばかり心配しているように見えたからだ。同級生たちは何の疑いもなく将来を見据えた就職活動を始めたが、麗佳だけはこんな茶番にはもう付き合わないぞと、理屈よりも心の声に従うことにした。
彼女はどこかの国に出かけるとき、いつも片道切符を買った。帰りのことは帰りに考えればよいからだ。欲しいものに出逢ったなら、支払い能力を超えてクレジット・カードを切った。支払いのことは支払日に考えればよいからだ。二枚貝のように泳ぎが苦手だったが、美しい海を見つけたら頭から飛び込んだ。溺れる心配は溺れたときにすればよいからだ。
そんな調子なので、麗佳は(金銭的にも肉体的にも)たびたび死にかけていた。特にアメリカン・エキスプレスの請求日には、打ち上げられたアザラシのように「もうだめです」という絶望的な表情を一日中浮かべていた。しかしなんだかんだで上手いこと乗り切り、翌日にはまたリッツ・カールトンやマンダリン・オリエンタルでいい感じの夜を過ごしていた。彼女がいったいどこから収入を得ていて、どこに住んでいるのか、誰にも想像がつかなかったが、何はともあれ怪我も病気も破産もせず、たくましく生き延びていた。
彼女にとって人生は《天からの贈り物》であり、一日たりとも無駄にはしたくなかった。『平日と休日』や『霽れと褻(はれとけ)』という区別をすることはなく、配られた手札でどんな役を作れるのかを精一杯考えていた。難しいカードを引いても不満を漏らすことはなかった。麗佳と会って話をしてみるとよく解る。自分がいかに先のことばかりに悩んでいるのかを。目の前にいる相手をみれていないのかを。
肖像作品、拝読させて頂きました。
私という人間を作品にして下さり有難う御座います。
大学生の頃からナナシさんが描く文章が大好きでした。5年ほど経った今、ナナシさんの作品に自分の名前が存在する事、とても感慨深いです。
自分の持っている特徴を自分自身で再確認できて、今の自分を思いっきり肯定できるような作品で励みになりました。
読み終える頃には思わず泣きそうになっていました。本当にありがとうございます。