2023-10-25

溝川大峨は出汁にこだわる五歳児だった

溝川大峨は、出汁にこだわりを持つ五歳児であった。

前世は実直な鍛治職人か何かだったのだろう。彼は物心が付いた頃から和出汁を好み、みかん組に登園する前に、(母親の助力を借りながら)『鰹と昆布の合わせ出汁』を引くことが、彼のモーニング・ルーティンに組み込まれていた。

誕生日には、ハンバーグやオムライスではなく、だし茶漬けでお祝いされることを望み、プレゼントには、鰹節を削るための鉋(かんな)を強く求めた。

母親から見た大峨のその所望は、他の園児たちが『黒ひげ危機一髪』や『ワニワニ・パニック』を欲しがる一過性のそれとは異なるように感じられたため、いささか値の張る『青鋼のかんな』と『二年物の鰹の本枯れ本節』を買い与えた。

それまで、個別包装のかつお節しか知らなかった大峨にとって、削りたての本枯れ節との出逢いは、腹筋の割れ方に定評のあるワニが、全盛期のアーノルド・シュワルツェネッガーの肉体美を目の当たりにした時のように、人生観を根底から変えてしまうほどの深い薫陶があった​​。

大峨は一級品の鉋と鰹を手にしたことをきっかけに、その飽くなき好奇心を昆布に対しても向けるようになった。

五歳の春。大峨は、昆布の新物とひね物(一年寝かしたもの)との間に、わずかだが致命的な違いがあることを発見した。特に利尻の蔵囲(くらがこい)昆布を試食した際には、文字通り腰を抜かした。

彼は母親に、蔵囲昆布で出汁を取ることが自分の人生にとってどれほど大切なのかと重要性を説き懇願した。あの領域を知りながら市販のもので我慢するなど、天使が空から舞い降りてきて、ハープを奏でようとしている中、サザエさんの再放送を見るようなものだと。

しかし、最初から最上級のものばかりを食べさせることを懸念した母は「小学生まで待つべし」と、その願いを取り下げた。彼は人生で初めての挫折を経験し、丸一日寝込んでしまったが、『丸ごとみかんゼリー』を買い与えられると、みるみる容態は回復した。

そして今、挫折を乗り越えた大峨は、質の良い軟水を求めて、山の湧水を自らの手で汲みに行こうと準備を進めている。幼少期の記憶を辿っても、それこそパンパースとムーニーマンの履き心地くらいしか気にしてなかった私からすれば、出汁ひとつでここまで深みに達せられる大峨は、どこかのイタリア人が言っていた通り、奇跡のようにさえ思えるのだ。

Children find everything in nothing, men find nothing in everything./Giacomo Leopardi

大人たちが「何もない」と思うところから、子どもは無数の宝を持ち帰ってくる。

関連記事

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *