手塚孝幸には相反する妻がいた
手塚孝幸は、何もかもが相反する妻と暮らしていた。
まず第一に、孝幸は日本語を話したが、妻はタガログ語を話した。日本で暮らすなら日本語を覚えてはどうだろうかと優しく提案してみたが、妻は縄張りを侵されたコヨーテのように拒んだため、家庭内の会話には(暫定的に)タガログ語が採用された。
孝幸は長距離の陸上選手のように、決めた目標に向かって淡々と積み重ねることを美徳としていたが、妻は期限のぎりぎりまで手をつけず、窮地に追い込まれてから「一気に仕上げる」ことを好んだ。彼女が初めて覚えた慣用句は「火事場の馬鹿力」だった。
仕事や家事においても、二人の取り組み方には、北国と南国のごとく真っ向から対立する違いがあった。孝幸は常に効率化を計り、昨日の自分よりも前進することを望んでいたが、妻は今日という日が昨日と《変わらないこと》に感謝していた。
天下を目指す織田信長とシルバニア・ファミリーが共同生活する姿を想像できないように、一つ屋根の下に相反する男女が暮らしているという事実には、合理的な筋書きが存在しないように思えた。しかし、なにはともあれ一緒に暮らしているのだから、そこには言葉を超えた運命が存在するのだろう。
以前、何かの本で読んだのだが、悟りを開いた仏陀は、人がこの世に生まれる意味を《苦しむこと》だと考えていたそうだ。肉体の無い魂の世界は、完全な調和で満たされており、そこでは良くも悪くも何ひとつ問題が起きないため、魂は苦痛を求めて、一石を投じるために、制約のある肉体を持って生まれるのだと。
孝幸から妻の話を聞いたとき、私はそんな話を思い出した。彼はとてもクレバーな人物なので、人を喜ばせる気遣いや、時間を生み出す効率的な仕事、感情の抑制が人より器用にできる。もし独り身であれば、この先もう何の厄災も訪れないのかもしれない。
だからこそ彼の魂は、この辺りで『相反する妻との遭遇』というイベントを用意したのだろう。もしかすると妻はこの先、『年末ジャンボへ財産をオールイン』や『ユニセフ基金への大量誤送金』をするかもしれない。しかし、感謝することさえあっても、非難することを誰ができるだろうか。彼女のそうした振る舞いは、夫の魂の成長のためにあえて引き受けてくれているのだから。
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