島田祐輔の笑顔は押し付けがましかった
島田祐輔の笑顔は、眩しいを超えて押し付けがましかった。
インド旅行に腹痛が、切っても切り離せない関係であるように、祐輔と笑顔はいつも一体だった。彼の浮かべる表情は、どの静止画をみても、どの瞬間の映像を切り取っても、ひとつの例外もなく笑顔だった。それは、世界のどの文化圏のどの民族に尋ねても、意見の食い違いが起こらないくらい象徴的な笑顔だった。歯を磨いているとき、お皿を洗っているとき、確定申告を提出するときでさえ、祐輔は気持ちの良い笑みを浮かべていた。だから、彼が掛け値なしの本気の笑顔を見せたとき、それは『微笑ましい』や『眩しい』という次元を超えて、『押し付けがましい』という印象を人々に与えた。
祐輔は外見的特徴を取り上げても、柔軟剤のコマーシャルのように、シミひとつないほど爽やかだった。マリン・スポーツでこんがり焼いた肌に、聞き分け良く整列したまっしろな歯、環境に配慮したパタゴニアのオーガニック・コットン・シャツ。フェア・トレードのコーヒーがよく似合う整った顔立ちの男だった。彼がその場にいるだけで、不思議と空間の色調は2トーンほど明るくなったので、祝いの席や霽れの日にはよく声がかかった。動物にも好かれ、スペイン語で乾杯の挨拶ができ、本格的な江戸前寿司も握れたので、パーティーの人気者でないはずがなかった。
しかし意外なことに、一年前までの祐輔はそこまで魅力的な人物ではなかった。いや厳密に言うと、彼は彼の素質に相応しいだけの輝きを未だ獲得していなかった。周りを気遣い、笑顔で明るく振る舞おうとはするものの、そこには相手の心を包み込むだけの《自信》が欠如していた。頼りどころのない視線に、確信を持たない言葉遣いをし、メッセージ性を欠いた笑顔を浮かべていた。挑戦心こそ持っていたが祐輔の一挙手一投足は、サイド・ブレーキを引いたまま、アクセルを踏むようなものだったので、走り出しても加速が乗り切らなかった。だから南米留学から帰国した彼が、自信と確信に満ち溢れた上等な笑顔を浮かべていたことに、周りの者は驚かされた。
三つ子の魂百までというように、人の性格は簡単には変わらない。いったいどんな修羅場を潜り抜ければ、蛹を破って羽化できるのだろうか。優しい笑顔に隠されて実態は語られないが、もしかすると祐輔は、コスタリカで凶暴なクロコダイルと壮絶な戦いを繰り広げたのかもしれない。エルサルバドルでギャングの巣窟にパスポートを落としたのかもしれない。あるいはグアテマラの火山の淵で、火の鳥に遭ったしまったのかもしれない。
1年の間に彼に起こったことは、同世代の10年分の経験を足したとしても追いつかないことでしょう。その押し付けがましいほどの眩しい笑顔で握るお寿司を食べた時、きっと少しだけ彼の経験を想像し、感じることが出来るのかもしれませんね。