井上祐太は生き急いでいた
井上祐太は、荒れ狂う海に身を投げるほど、生き急いでいた。
今、祐太の手元には、三つの選択肢があった。ひとつは、荒れ狂うベーリング海で蟹漁船に乗り、一攫千金を狙うこと。ふたつは、北欧のカルト・コミューンに潜入し、門外不出の経典を盗み出すこと。最後は、灼熱のサハラ砂漠を七日間走る、ウルトラ・マラソンに出場することだった。いずれも生き死にをかけた大勝負だが、祐太は傷を負う覚悟でやらなければならなかった。24年間、精一杯生きてきたが、彼には未だ他人に誇れる経験が不足していたからだ。
祐太は幼い頃から控えめな性格で、他人と劣る点を見つけては、猫が砂をかけるように隠そうとする習性があった。鬼ごっこでは、走るより隠れる技を磨き、おみくじで凶を引けば開運のお守りを購入した。優れた能力が芽吹き始めても、目立つことを恐れて力を抑えた。そんな生き方を続けた結果、成績表にずらりと4を並べた生徒のように、それなりに優秀ではあるものの印象に残らない人物になっていた。
祐太は個性を出すために思いつく限りのことをした。北海道で丁稚奉公をしたり、文化遺産に通い詰めたり、スピーチ・コンテストに出場してみた。しかし人当たりの良い祐太が出すアイデアは、いずれも彼がいい人であるという印象を高めるだけのものだった。せめて癖のある訛りを話すとか、過激な政治思想があるとか、ダメージ過ぎて布がほとんど無いデニムを履いているとか、そういう偏屈さがあれば、反感と共に興味も抱かれたかもしれないが、人格のバランスを損いかねない要素は少なくとも表面上には全くみられなかった。
「若い頃なんて、浪人をしていたか留年をしていたかの違いくらいで、ほとんど変わりないんじゃないかな」と私は正直な感想を述べた。しかし祐太は何を言っているのかわからないという様子でこう述べた。「こいつは一味違うと思われたくて、僕なりにいろいろと挑戦しました。でも同世代で活躍する波瀾万丈な人生に比べたら、僕なんて、樫の木のてっぺんのほらで、胡桃を枕にうとうと昼寝をするリスみたいなものです。運命を変えたいのです。」
そういうわけで私は心を鬼にして、悩める子羊に三つの選択肢を提示した。アラスカの蟹漁船に、いかれたコミューンに、砂漠の耐久レース。半分冗談のつもりだったが、祐太は海外での新しい治療法を耳にした末期の患者のように真剣に手札を眺めていた。鳩のように素直な彼に、蛇のようにさとい提案をしてしまったかと私は後ろめたい気持ちになったが、考えようによっては悪くない選択なのかもしれない。何より、掛け値を釣り上げたのは祐太の方なのだから。
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