2024-01-20

藤松宏章はプロフィールが散らかっていた

藤松宏章は、紹介者が困惑するほど、肩書きが散らかっていた。

私が知る限り、現存する霊鳥目ヒト科の生物のなかで、藤松ほど高い知性を有する成体は存在しない。それこそ、高度な金融工学を用いた資金管理から、ウクライナ美女を落とす会話術から、えぐみを出さずに鹿をさばく方法まで、何に対しても深い造詣があった。彼の知性は、クイズ・プレイヤーにありがちな、単に《知っている》というものではなく、仮説と検証と実践を繰り返した上で、人の役に立つところまで昇華させていた。だから彼が「こうするのがいいんじゃないかな」と言うときには、本当にそうするのが最適解だった。

藤松は周りの者たちから、さん付けでも、くん付けでも呼ばれなかった。ファースト・ネームでも、ファミリー・ネームでも呼ばれなかった。あだ名さえなかった。彼はただ《神》とだけ呼ばれていた。もちろんそこに宗教的な意味合いはなく、人名を表す固有名詞として自然な様子で呼ばれていた。「神はとりあえずビールですか」とか、「次は神から一言をお願いします」といった具合に。

なぜ藤松がそのような《非凡な人物》になったのか、誰にもわからなかった。もともと目立たない男だったし、成績もどちらかといえば悪い方だった。目先が利いたり機敏だったりというわけでもない。性格なんてほとんどないも同じだった。最低限の学力を測るアルバイトの面接では、地元一の不良校のギャルに、百マス計算で大敗したこともあった。だから彼が金持ちになったと聞いた時、誰もが性格(たち)の悪い冗談だと思った。「あいつが金持ちになるくらいなら、俺はとっくに空を飛んでいる」と。しかし事実は事実だった。

自然界も人間界も、社会というのは弱者に厳しい場所である。だから藤松が、人より努力をしなければならないのは仕方のないことだった。彼は一日、三時間とか二時間しか眠らなかったし、月に数百冊の本を読んだ。気になることがあれば、カリブ海でも地中海にでも飛んだ。所有する本が多すぎて、ひとり暮らしであるにも関わらず、3LDKに加えて、貸し倉庫をふたつも契約していた。

また彼は、神経質な家政婦が、水の吸いが悪くなったスポンジを毎週取り替えるように、何かで一定の成果を修めるたびに、きっぱりと手放して、別の世界で一から学び始めた。一流大学を中退し、絶好調の事業を手放し、世界のガールフレンドたちと別れを告げた。そうして彼は、投資家でありながらマタギとなり、哲学者でありながら占い師となり、旅人でありながら弓道家となった。文豪スコット・フィッツジェラルドの言っていた通りだろう。

The test of a first-rate intelligence is the ability to hold two opposed ideas in the mind at the same time, and still retain the ability to function.

優れた知性とは、ふたつの異なる概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる、そういうものだ

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