井出貴久はさまざまな理由で客を追い返した
井出貴久は、さまざまな条件をつけて客を追い返した。
井出の営む居酒屋『厨十兵衛』には、いくつもの厳格な《決まり》があり、それをひとつでも破ると問答無用で店を追い出された。入り口の扉には、最初のルールとして「日本酒を飲まないなら来るな」と書かれていた。飲まないなら追い出すし、三杯以上飲まない場合は、迷惑料を請求すると。その隣には「二軒目に使うな」という文言もあった。酩酊は言うまでもなく、気持ちにたるみが見受けられると判断されたら、もれなく追い返されるようだ。さらには「三人以上で来るな」という但し書きもあった。ここは喋る場所ではなく酒を嗜む場なのだ。喋りたいなら別の店に行ってくれと、店主お勧めの居酒屋が(丁寧に)六軒も添えられていた。
我々が店の前に到着したとき、ちょうど若い男女が井出に追い返されるところだった。彼らは愚かにも、初手で「梅酒はありませんか」と尋ねてしまったようだ。基本の基も抑えていないのなら、たしかに来店する資格はないだろう。我々は扉に書かれたいくつもの掟を精読したのち、店主に「問題ない」と告げると席に通された。しかし、ひと息をついたのも束の間、さらに厳しい規約が書かれた張り紙を目にしてしまった。
《一杯ずつお猪口を変えてもらえると思うな、他の店へ行け》とか、《ラストオーダーを聞いてもらえると思うな、他の店へ行け》、あるいは《何があっても口を挟むな、他の店へ行け》など、フェンシングの国際大会のように厳しい遵守規定がいくつも課せられた。それらの張り紙は、我々の頭に地雷だらけの荒野を連想させた。挨拶は「こんばんは」でいいのだろうか。利き手は使えるのだろうか。咀嚼回数に上限は設けられていないのだろうか。粗相をしないように気を張りながら、たくさんの酒を飲まなければならなかった。
しかし、そうした条件を受け入れてでも、あまりに余りあるほど、井出が提供する体験は非凡なものだった。料理に合わせたお酒ではなく《お酒を主体にした料理》が振る舞われた。そこには、割烹でも懐石でもなく、居酒屋でなければならない理由が示されていた。やるべき仕事だけに集中しなければ、この高みには到達できないであろうというほど、研ぎ澄まされていた。そう思うと、井出の課した条件は十分に妥当性を保っており、むしろ誠実であるようにさえ感じた。考えてもみれば、ひとりの杜氏に敬意を込めて仕込んだ《鯛の酒盗和え》に、カシス・ウーロンなんかを合わせられたら、日本の文化そのものの消失を感じてしまうだろうから。
日本酒と日本食の真髄を味わい、感じられるお店のようですね。書かないとわからない、言わないとわからない。私を含め、そんな日本のしきたり、マナーを知る人があまりにも少ないのでしょう。匠の技を遮ることなく頂く。食べる側の最低限のマナーを1から叩き込まないといけませんね。