大和亜紗は天使の愛嬌と悪魔の執念をもっていた
大和亜紗は、天使の愛嬌と悪魔の執念をあわせもっていた。
彼女は、春先のうさぎのように小柄で愛らしい人だったが、こと仕事においては、聖戦に向かうジャンヌ・ダルクのように執念深いところがあった。集中状態に入ったときの働きっぷりは、猪突猛進なんて生ぬるいものではなく、反抗期に暴れ狂うセイウチのような熱量があったので、それがどれだけ無茶な目標だったとしても、亜紗が狙いを定めたならもう半分は叶ったようなものだった。
彼女にはブレーキの機能が備わっていなかった。一度アクセル・レバーを引いたなら、寝ることを忘れ、食べることを忘れ、ゴールさえも忘れて走り続けた。だから目標のラインを大きく超えてもなお止まる気配をみせなかった。誰かが肩をたたいて「もう願いは叶っていますよ」と言ってやらなければ、(あるいは燃料が切れなければ)、終着駅をこえて街へ突っ込む機関車のように走り続けていた。そんな調子なので視界の悪い日には誰かと衝突を起こすこともあったし、しばしばレールから脱線することもあった。しかしなにはともあれ、彼女はティファニーの朝食みたいに優雅な暮らしをしていたし、いつもどこかの国へ旅をしていたので、話を聞かせて欲しいという誘いが絶えなかった。
かくいう私も久しぶりに彼女の話を聞きたくなり、「飲みに行きませんか」と声をかけてみた。明日ならいいですよと返事がきた。その日、私は都内にいて彼女は札幌にいたが、なぜか指定されたお店は沖縄だった。すっかり忘れていたが、亜紗はまるで電車で隣町に行くみたいに飛行機を使うのだ。しかし、地を這うヤドカリがわたり鳥に文句を言っても仕方がない。私は大人しくチケットを取ることにした。翌日、南国の瀟酒なレストランに現れた彼女は、オフ期なのかとてもリラックスした様子で、穏やかな笑顔を浮かべていた。私は彼女が女優のように華やかであることを褒め、彼女は私が足軽のように身軽であることを褒めた。
亜紗の近況は想像以上に刺激的で、すべてが実話でありながら千夜一夜物語のように魅力的だった。冒険への憧れと葛藤、壮大で幻想的な舞台、強敵や悪者の出現、褒美と達成の喜び。まるでひとつのオペラをみているような話が語られた。私だって日々それなりに新しいことをしているが、彼女の波瀾万丈な話を聞いていると、まるで自分が天敵のいない動物園で散歩を楽しむシマウマみたいに思えてくるのだ。なるほど、このくらいでいいやと思い込んでいただけで、まだまだ私も大草原に出たいのかもしれない。
北海道であったり、南国での優雅な暮らしの背景には人一倍、いや、人100倍の努力をされているのでしょうね。そうゆう自由を得た人の話を聞くと、生まれ持った才能があるように思えてしまいますが、地道な努力の賜物なんですね。けっして真似は出来ませんが、自分の限界を決めず何事もチャレンジしたいものです。