雨宮千穂は狂おしいほど恋に落ちた
雨宮千穂は、芸術的天啓を受けて、狂おしいほど恋に落ちた。
ある秋の日、千穂は生まれて初めて本物の恋に落ちた。それは、人口より鹿の方が多い田舎の定食屋で、本格的なブイヤベースを口にした時のように、まるで予想外の出来事だった。恋に落ちた相手は、ひとりの舞台女優であり、その日は小劇場で、鬱屈した苦悩を抱える侯爵家の若き嫡子を演じていた。彼女の身体はティンカーベルのように華奢だったが、内からたぎる生命量はひとつの小惑星にも匹敵するように思えた。
女優が演じる青年の美しさは、人智を超えていた。男性美の真髄を理解した女優だけが到達し得る『惚れ惚れする男のイデア』がそこにあった。客席の女性たちはうっとりとし、今すぐ仕事も家庭も投げ捨てて走り出したいという様子だった。10年以上舞台を観てきた千穂でさえ、艶めかしい青年がこちらに顔を向けるたびに鼓動が高まり、クライマックスでは鳥肌が立ちすぎて自分が鳥になったのかと錯覚を起こした。このただごとではない何かの正体を誰かが説明してくれるのを待ったが、もちろんそんなものは演目に含まれていなかった。
千穂は帰り道、自らの今世は、あの方に身を捧げようと決意を固めていた。翌日から、熱心なカトリックが聖地を巡礼するように、各地の公演を周り、プロマイドを集め、(課金対象を見つけては)投げられる限りのお賽銭を奉じた。さらに深く女優を理解するため、劇中歌の歴史的背景を学び、発声と解剖学の講義を受け、同じ身長になる靴を履いた。千穂の献身に呼応するように、女優は100年続く歌劇団の中でも伝説的なスターになった。長期の熟成がワインに品格を与えるように、千穂の恋も11年という歳月を味方につけ、生物の至る境地《愛》に到達したのだ。
千穂は自身の行為に対して、何ひとつ見返りを求めないことを貫いた。ギヴ&テイクなど論外だ。ギヴ&ギヴでも生ぬるい。ギヴ&サンクスだけが正しい態度だと考えていた(お支えする機会をいただけて有難う御座います)。その気持ちは、女優本人に対してだけでなく、彼女を育ててくれた御家族や歌劇団に対しても、尊敬と慈愛の念を贈らずにはいられなかった。私は貴方たちに恥じぬファンを目指しますので、どうか変わらずにお過ごしください、と。
ジュリエットなくしてロミオが存在しないように、善き観客なくして善き演劇も成立しない。シェイクスピアもダヴィンチも、モーツァルトもミケランジェロも、献身の支援者(パトロン)があったからこそ、偉大な芸術を生み出せたのだ。我々は千穂に感謝しなくてはならない。清く・正しく・美しくの伝統文化を守っているのは、彼女の愛なのだから。
ナナシさん
肖像作品を描いて下さりありがとうございました。
肖像作品を描いて頂くなかで特に印象に残っているのがナナシさんとの会話です。
自分のこれまで生きてきた軌跡を自然と引き出して下さり
あぁ、私はこんな事を感じてきたのだと自分の事ながらびっくりしたのを覚えています。
出来上がった肖像作品を拝見した時
ナナシさんはやや過剰な表現をしていると仰いましたが全くそんな事もなく的確に私を捉えて表現してくださっていると感じました。
他の方の作品も拝見させて頂いていて感じるのは、作品のモデルに対する愛の深さです。
そのモデルを描き出すのにどれだけ考察を深めたのだろう
そう思わずにはいられない作品たちの中に私の物語を加えて頂けて嬉しいです。
私の運命を変えた方との出会いを色鮮やかに描いて頂いた事で原点を振り返る機会となりました。
彼女とともに成長していく指針です。