2023-12-08

山崎孝輔は表と裏の顔を持っていた

山崎孝輔は、ジキルとハイドのように、表と裏の顔を持っていた。

表の顔(つまり普段の彼)は、思わず金の斧を差し出したくなるような好青年だった。外見にも言葉遣いにも清潔感があり、テーブルマナーは良く、箸の持ち方にさえ品格があった。旧家の跡取りがやるように、日が昇ると神社へ赴き、感謝を忘れないように祝詞を唱えた。

性格もカピバラのように温和で、驕ったところや偏った政治観もなく、どんな主張にも分け隔てなく耳を傾けた。相槌のボキャブラリーが20以上あり、状況に応じてゴルフクラブを選ぶみたいに使い分けた。当然、女性にもてたが、彼を悪く言う人物はひとりもいなかった。

しかし賢明な読者諸君においては、物事を一面だけで捉えてはいけない。あのオシドリでさえ、雛を産んだ後は浮気に走る生き物なのだ。どんな聖人にも裏の顔はある。孝輔の場合、その年の初雪が降り始める頃に、溜め込んだ何かを爆発させるふしがあった。それは100年ごとに訪れる富士山の噴火のように避けられないものだった。

私が初めて孝輔のそれを目撃したのは、3年前の冬だった。その年の初雪が降ると、彼は満月の日の狂った狼のように、ソーシャルメディアの投稿に打ち込み始めた。その打ち込み具合は『はまる』とか『夢中になる』という生ぬるいものではなく、『自己を喪失する』とか『帰らぬ人となる』いう類の没入だった。

当時、同じマンションに暮らした住人も、孝輔の姿をこのように証言した。「彼は何かに夢中になると、いろんな現実的なことを忘れてしまうんです。御飯を食べたかどうかとか、今まで何処で何をしていたかとか、そういうことをさっぱりと。頭の中が真っ白になっちゃうんです。強烈な集中力です。」

それはどちらかといえば集中力というよりは精神病の領域に属する事例ではないのかと、私はふと思ったが、もちろんそんなことは口に出さなかった。黙って礼儀正しく微笑んでいた。

春が訪れ、熊たちが深い眠りから覚めると、ようやく孝輔も目を醒ました。そんなことまるで何もなかったと言わんばかりに、穏やかで慎ましい性格に戻った。しかしその凪(なぎ)は、次に雪が降るまでの仮釈放期間のようなものだった。

夏が過ぎ、秋が終わり、また寒い冬が訪れると、孝輔は「神社を巡る」とだけ言い残して街から姿を消した。後にわかったことだが、春の野草が芽吹くまでの間に、400とか500という数の社にひたすらに足を運んだそうだ。

さて彼が暮らす京都では、今年もそろそろ雪が降り始める頃だ。彼の中のハイドは一体何をおっ始めるつもりなのだろうか。

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