2024-05-01

原田龍希は面倒に巻き込まれていた

原田龍希は、不思議な住人たちによって、面倒に巻き込まれていた。

龍希が成人を迎えたおめでたい年に、原田家にとっておめでたくないことが起きた。突如、龍希の周りに奇妙な人物がわらわらと現れ、彼の人生が間違った方向に動き出したのだ。住所を持たない撮影家に、ジャック・スパロウみたいな役者、神を宿す占い師に国際的な映像監督。平和にこともなく暮らしてきた原田家にとっては、お世辞にもまともな人たちには見えなかったし、非現実な国の住民のようだった。そこからおよそ二年に渡り、龍希青年は、竜巻ような世界に巻き込まれることになる。

彼が生まれたのは西暦二千年の一月朔日だった。千年に一度だけ訪れる記念碑的な暦の最初の子ということだ。水神信仰の日本において、その年は辰年だったので、赤子は龍希という名を与えられることになった。原田夫妻にとっては最初の子どもだったし、龍希は掛け値なしに本当に可愛い容姿をしていたので、箱入り娘のように親族総出で大切に育てられた。

龍希の地元は三河の田舎町で、織田信長が天下に名を轟かせた長篠の戦いの跡地だった。かつて幾万もの漢たちが争った面影は無く、今はただ牧歌的な野原が広がっていた。両親は愛する息子が面倒に巻き込まれることなく、慎ましくも幸せに暮らしてもらいたいと願い、社会通念上の常識を熱心に教え込んだ。龍希にとっても、両親の願いを受け入れることに喜びを感じていたので、聞き分けのよい優等生のまま小中高と駒を進めた。少なくとも大学までは何ひとつ面倒事はなかった。しかし物語には起承転結が必要なように、ちゃんと面倒に巻き込まれた。

原因はソーシャル・メディアだった。未知の人物と繋がれる世界に龍希は心を奪われた。世の中にはこんな面白い人物が実在するのか。両親は外界の見知らぬ者と接触を持つことを強く否定したが、禁じられた実を食べてしまうのが人の性である。遅めのいやいや期を迎えた龍希は、黙って大学を休み人に会う旅(家出)を始めた。彼は見た目こそ素朴な田舎の長男だったが、誰もが内にある《光るもの》を見逃さなかった。ある者はファッション・センスを開花させ、また別のある者はビジネス・マナーを教授した。スポンジのように吸収し輝きを増すたびに、偏屈な世界の住人が集まってくるようになった。気づけば龍希の《よく連絡を取る人ベストテン》には、社会通念上の常識的な大人はひとりも居なくなっていた。

しかし、龍希の名前の由来を鑑みれば、実は巻き込まれているのではなく、彼こそが渦の中心を作っている元凶なのかもしれない。

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コメント3件

  • 貴子 says:

    今年の辰年はどんな渦を作って行くのか楽しみですね!ソーシャルメディアは怖いもの。刃物と同じで扱いを間違えれば傷を付けかねませんが、上手く使いこなせば世界が一変する。学校や保護者向けに『ソーシャルメディアの正しい使い方』の登壇を是非していただきたいものです。

  • 肖像作家 ナナシ says:

    龍希さん、描かせていただきありがとうございました。
    2000年1月1日生まれ。辰年の龍希。これだけの条件でも龍希さんが今世に大きな使命を持って生まれてきているように感じました。
    まだお若いので志が定まらず迷われることもあると思いますが、魅力的な大人たちに磨かれてますます開花されることを願っています。

  • 原田龍希 says:

    おはようございます。

    書いていただけて嬉しいです。

    未だに、未知の世界に興味を持って飛び込んだあの時を思い出します。

    知らないことが次々と起こってその度に心が踊った2年間は、今まで過ごした20年間よりも濃く忘れられない経験です。

    名前の由来的に、自分が渦の元凶。
    何か大きなことを成し得ないと中心になれないと思っていた自分にとってすごく嬉しい発見です。

    これからも自分を磨き続け、渦の中心を作っていきます。

    改めてありがとうございます。

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