竜樹諒は夢のない夢を叶えていた
竜樹諒は、まるで夢のない夢を次々に叶えていた。
竜樹が眠りのなかで視た夢は、一冊の漫画に記され、二十年の時を経て発掘されることになった。発売当初は誰も見向きをしなかった。他人の夢の話なんて、この世で最も退屈な話題のひとつだからだ。離婚調停を傍聴したり、カンガルーの喧嘩を見ている方が八倍は楽しい。しかしそれでも、令和に入った途端、竜樹の《夢漫画》はベスト・セラーを記録した。増刷は間に合わず、伍拾万円もの値で取引されるほどの熱狂ぶりだった。売れた理由はただひとつ。彼女の夢は、預言者ババ・ヴァンガのお告げの如く、次々に現実に叶ったのだ。
若き日の竜樹は、職業的漫画家としては致命的なことに、物語が創れなかった。描写技術にこそ定評はあったが、独創性のある話を生み出せず、与えられる役割も作画担当しかなかった。苦肉の策で始めたのが、夢の日記を付けるというものだった。しかしミステリー作家を目指していたこともあり、彼女が視る夢は陰気で不吉なものばかりだった。地震に津波、人の死に殺人の目撃と、夢の中くらいもう少し夢を見せてあげたいと思えるほどに夢がなかった。しかし不思議なことに、彼女の視た夢はことごとく現実になった。大厄災が起こる月も的中させた。次第に噂が噂を呼び、怯えた大衆が次の厄災から逃れる方法を求め、彼女の予知夢漫画を買い求めた。そうして竜樹は(本人が望んだ形ではないにせよ)、売れっ子作家に仲間入りを果たした。
彼女のサクセス・ストーリーを聞いて、私もさっそく夢日記をつけはじめた。悩める人類に道を示してみせようじゃないか。そして上手くいけば、富と名誉も手にするだろう。私は成功を夢見ながら眠りについた。ところが二日経っても三日経っても、インド・カレーを食べてお腹を下したとか、虫歯を放置して医者に叱られたなど、スケール感のない夢ばかりで、意味のあるメッセージは降りてこなかった。そんな状況がしばらく続き、もう諦めかけた八日目の夜、ついに私は大厄災の夢を視た。
夕暮れどき、カーテンを開けて外をみると、空一面が黒くなるほどの鳥の大群が現れ、無抵抗な人々を襲い出したのだ。今まさに嘴で突かれようとする子どもを見つけ、あっと声を出すと、鳥たちは私を目がけて襲いかかってきた。死を覚悟したその瞬間、冷や汗と共に目を覚まし、時計は4時42分を刻んでいた。この夢は一体何を意味しているのだろうか。ユングやフロイトならどう解釈するだろうか。おそらくは、心ゆくまで鶏肉を食べろということだろう。そうして私は世界を救うために、向こう三日間、焼き鳥屋の予約を入れた。
竜樹先生の本は、話題になった頃少し拝見しましたが、内容に震え上がってしまいじっくり読むことは出来ませんでした。
この先のことも記されているようですが、知りたい気持ちと知りたくない気持ちの半々です。
私は時折、映画のようなハラハラドキドキ、奇想天外な夢を見ることがあるので、夢日記を付けていたらきっと今頃脚本家になっていたことでしょう。今からでも、夢の中に眠る未知の財宝を掘り起こしてみようかしら。