小林隆英は禁断のレシピを蘇らせようと画策した
小林隆英は、禁断のレシピを蘇らせようと画策した。
その日、隆英は自らの運命を大きく変えるひとつのレシピに出逢った。それはアラジンが魔法のランプを見つけたきと同じ、天啓のような巡り合わせだった。
薬剤師ジョン・ペンバートンなる人物が残したその記録には、禁断の麻薬《コカの葉》と、アフリカの秘宝《コラの実》を調合した飲み薬が記されていた。それは後にアメリカ全土に熱狂の渦を起こし、数多のコカイン中毒者と、巨大帝国コカ・コーラ社を誕生させた伝説のレシピである。当時、仕事に忙殺され生きがいを失っていた隆英は、偶然手にしたレシピを前に、まるでランプの精霊に取り憑かれた悪大臣のように、禁じられた飲み物を復活させようと決意を固めた。麻薬取締法の関係で、コカの葉だけは入手できなかったが、コラの実については、わざわざガーナまで足を運んで調達する熱の入れようだった。
そうはいっても、レシピは百年以上前に書かれたものである。原材料の種類こそ記されていても、それをどのように調理し、どの割合で配合するかについては明らかにされていなかった。火を通すのか通さないのか、炒るのか蒸すのか、どの粒度で砕くのか(あるいはすり潰すのか)、溶かすのか煮出すのか、どれだけ寝かすのか。ぱっと思いつく分岐だけでも、膨大な変数があることは容易に想像できた。どう考えても正気な人間のやることではなかったが、幸いなことに隆英は正気ではなかった。コカ、ペプシに並ぶ日本のブランドを創る。これは自分がやるべきことなんだと。
ちょうどその頃、隆英の祖父が他界した。長く忘れていたが、祖父は実直な和漢方職人だった。彼が遺した工房には、薬を調合するための道具も、薬効に関するメモも、クラフトマンシップの魂も、今の隆英に必要なものが全て用意されていた。彼は祖父の霊魂と共に、カルダモン、ナツメグ、クローブ、シナモンと、丁寧に対話を重ねた。そうして三年間、血の滲むような施策と検証を重ね、遂にこの世界にひとつのコーラを生み出した。それは、コカとペプシが創り上げたコーラの常識を根底から覆すものになった。
《伊良》と名付けられたそのコーラは、健康志向が高い者にほど支持された。アフリカで、コーヒー、カカオに並ぶ、三大神からの贈り物《コラ》が惜しみなく使われていたからだ。十二種のスパイスを調合したシロップは、原液でも提供されたので、ラム酒やホット・ミルクとも合わせることができた。体調が優れないときほどコーラを飲むべし、という不思議な文化も生まれた。貴方も飲めば解るだろう、禁酒法時代のアメリカで国民の気が狂わずに済んだ理由を。
コーラの起源が飲み薬であったのは知りませんでした。伊良コーラを最近では成城石井やコンビニでも見かけるようになり、その人気ぶりが伺えますね。
幼いころ、コーラ=歯が溶ける危険な飲み物という教えを信じていましたが、その美味しさに危険を犯してでも飲みたい欲望は止められませんでした。100年以上の時を経て復活した伊良コーラは「良薬口に美味し」という、なんともミラクルな飲み物ですね!