石黒知行は大した人物ではないのかもしれない
紳士とは、払った税金と寝た女性について多くを語らない人物のことである
英国の騎士道には、そのような教えが口伝として残されているそうだが、その言葉を耳にしたとき、私はひとりの日本人の姿を思い出さずにはいられなかった。
石黒知行(トモさん)は、自らについて多くを語らない人物だった。関係を持った女性はおろか、手にした財産や乗り越えた逆境など、自慢だとみなされうる話が彼の口から語られることは、天と地がひっくり返っても起こりえなかった。「能ある鷹は爪を隠す」というが、トモさんの場合、能があることをすぐに忘れてしまうからだ。もともと謙虚な男だったが、歳を重ねるごとに磨きがかかり、52歳を迎えた今では、スキージャンプの金メダリストが滑走中に取る姿勢のように低い腰になっていた。トモさんはある方面からは「謙虚さが服を着て歩いてる」と喩えられ、別のある方面からは「彼よりも謙虚な人物が存在するなら、それは謙虚さではなく策略だ」と評されるほどだった。
確かなことなど何ひとつないこの世界で、ひとつだけ確かなことがあるとすれば、「中年男性の話は長い」ということではないだろうか。特に社会的立場のある人物の身の上話は、宇宙の終わりを感じさせるほど、ひたすらに長いものだ。校長先生を思い出せば自明だろう。しかしトモさんに限っては、よほどのことがない限り、自ら身の上話をすることはなかった。どうしても自己紹介が避けられない場面では、手短にかつ、いくらか割り引いた表現を使った。それは、話を盛る癖のある人がいるのと同じように、トモさんは常習的に自分の話に割引を適応していた。
たとえば、勤め先の会社を訊かれ「資生堂です」と言うべきところでは「美容関係です」と述べた。社内での立場を訊かれ「役職に就いています」と応えるべきところでは「長く雇ってもらってます」と説明した。ハイヤーのことをタクシーと呼び、レクサスのことを国産車と呼んだ。そんな格下げを、トモさんはとても自然にやってのけるので、素性を知っている私でさえ「実はトモさんは大した人物ではないのかもしれない」と思うことがあった。
しかし、どれだけ巧妙に取り繕っても、メッキはいつか剥がれるものである。明らかに素人の持ち物ではない割烹着で蕎麦を打ったり、スプレーガンを使いこなして革製品を染めたり、ビブラートを効かせたトロンボーンの演奏を見せられては、いくら小物に見せようとしても、その状況には無理があるのだから。
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