吉田亜紀子は歌詞にある仕掛けを施した
吉田亜紀子は、諜報員が暗号化するように、歌詞にある仕掛けを施した。
2007年パリ、劇場バタクランにて。彼女がその曲を歌い始めたとき、会場にいた誰もが息を呑み困惑した。「愛を奏でるシンガー・ソング・ライター」という前評判を聞いていたのに、今、目の前で行われている演奏は、今世で出逢ったことのない種類の楽曲だったからだ。その曲はフォークでもジャズでも無かった。激しくもなく穏やかでもなく、その中間でさえなかった。歌詞は古代の日本語のように響いたが、特殊なアナグラムが組まれているのか意味がまるでわからない。それでいて聞き手の頭のなかには、連続した抽象的なイメージが伝わってくるのだ。喩えるなら、何光年か離れた惑星の異星人にテレパシーで語りかけられているようだった。
亜紀子が初めて音を奏でたのは3歳だった。いやいや期を終えて、おむつを手放すのと同時にバイオリンを手にしていた。そこから27年間、常に音のなかに身を置き、全身をひとつの楽器にして空間を震わせる技術を体得していた。彼女の歌う姿は、音楽に一家言を持つフランスの聴衆にも、畏怖の念を抱かせるのに十分な神々しさがあった。素足で地をふみ締め、目を閉じて身体を揺らし、深海を彷徨うように泳ぎながら歌った。コンサートというよりは、祈祷師による宗教的儀礼と呼んだ方が相応しいくらいだった。実際に彼女が歌い始めると、観客の意識は肉体を離れ、鳥や魚に姿を変え、深い森や原始の海を旅することができた。
不思議なことに、亜紀子は出身の日本において、彼女の才覚に合致するだけの評価を得ていなかった。それなりに名は知られているものの、西洋や欧州、アジアで得られるだけの人気は無かった。それでも亜紀子にとって、日本語は特別な言語だった。《調和》と名付けたこの曲が祝詞的な効果を持つに至ったのも、おそらくは歌詞に理由があった。亜紀子はときおり、日本語を左脳で処理する情報ではなく、五臓六腑に響かせる(腑に落とす)波として使うために、あえて逆さから詠むという手法を採用していた。たとえば「海に沈む」を「ムズシニミウ」と詠んだり、「穏やかな時」を「キトナカヤダオ」と詠んだ。「コキア」というアーティスト・ネームもそんな言葉遊びに由来していた。
もしも私が、《記憶を消してもう一度聴きたい曲》を尋ねられたなら、迷わず、KOKIAの調和を挙げるだろう。外国の方が初めて日本語を聞いたときこう響くのか、という客観的な感覚を知ることができるのだから。
いつも素敵な気づきをありがとうございます。
KOKIAさんの「調和」は静かな曲かつ不思議な歌詞だと思っていました。
普段は歌詞を文字として見ずに曲を聴いていたので、アナグラムになっていると知らずに、「よくわからないけれど癒される」と思っていました。
この作品を読み、改めて「調和」を歌詞と比較して聴き直しました。簡単な置き換えでありながら、とても不思議な響きになる表現方法で、KOKIAさんのすごさを感じました。
「記憶を消してもう一度聴きたい」というのも納得の曲です。