夏目ちひろは夜行性の譚畫技師だった
夏目ちひろは、真夜中に動き出す譚畫技師(たんがんぎし)だった。
夏目が目を覚ますのは、フクロウやコウモリが活動をはじめる少し前、だいたい夕方の四時頃だった。簡単な朝食を済ませたのち、椅子に座って目を閉じて、アイデアやモチーフが降りてくるのを待ち、浮かんだ映像(ヴィジョン)を筆とペンを使って描き起こす。これを日付が変わるまでに完了させると、彼女は今日の仕事を終える。時計のベルが日付変更線を越えたことを告げると、次のアイデアの種を探しに小旅行へ出かける。稀に街に出かけることもあるが、基本的には、近くの林を散策するか、湖のほとりで蛍を鑑賞する。オリオン座を眺めながら煙草を吸うのも、彼女の目覚めの習慣(モーニング・ルーティン)のひとつに加えられている。深夜二時に、ご機嫌な様子で森を散歩するその姿は、不審以外の何ものでもないが、幸運なことに夏目には未だ逮捕歴も補導歴もない。
彼女は、単に絵が上手いというだけでなく、抽象的な物語や概念に、具体的な姿を与える技術に長けていた。夢や志、想いといった頭で描くふわふわとしたイメージ《譚:たん》を、ロゴやイラストといった目に見える形に翻訳すること《畫:がん》が、彼女がもっとも得意とするところだった。巨大な木星が、その重力で周りの衛星を巻き込んでいくように、夏目もクライアントが頭で想像したものの中から《核》を抜き出して、それを中心に派生情報を演繹的に巻き込んで、紙面に創造してみせた。彼女が譚畫(たんがん)と名付ける一連の技法は、神が行う天地創造のようであり、顧客を大いに喜ばせた。そうそう、言葉にはできなかったけど、まさにこの絵が欲しかったんだ、と。
夏目はいくらでも淀みなく絵を描くことができた。描けないという悩みは彼女には縁のないものだった。彼女の頭の中の小人たちは、いつも「描いてくれ!」と叫んでいた。だからある時から夏目は、話すよりも描くことに多くの時間を費やした。結果、年齢とともに描写能力は右肩上がりに伸び、それに反比例するように言語能力が衰えた。人魚が足を得る代わりに、声を失ったようなものだった。だから、彼女との会話に異星人と交信するときのような違和感があることには目をつむるべきだろう。そのささやかな欠点さえ受け入れられるなら、自分を鼓舞する有益な象徴を与えてくれるのだから。
コメント3件
感激です。
私の理想の姿が初めて目視できたように感じられました。
その理想まではまだまだ距離がありますが、自身の仕事を新たな角度から見てわくわくすることができました。これは私にとって大きな価値のあるものです。
「なんでこの仕事してるんだっけ?」先日、久しぶりにこんな気持ちになりました。
さほど気にしてはいなかったのですが、ささくれのように日常の中でチクッとする瞬間が何度かあったりここ数日はそんな日々でした。
そんな時にナナシさんから作品が送られてきました。ああ、答えは必ずしも自分が持っているわけではないのだとそう感じました。
一番好きな季節に、こんな素敵な作品を届けてくださりありがとうございます。
ナナシさんは、季節のようなお方ですよね。どんな季節でも必ず私の中に芽吹きを与えてくださる気がします。
芸術家は夜型の傾向があると聞いたことがあり、夏目さんのインスピレーションの源は真夜中の散歩などからなのですね。娘が昔から寝ない子で心配していましたが、絵を描くことが好きなので、きっと芸術肌だから夜型なのだと思い、受け入れることで心配することが以前よりは減りました。けれども、真夜中の散歩にはきっと心配でついていってしまうでしょう。真夜中は恐ろしい物と考えてしまいますが、きっと世界を独り占め出来る時間と思えれば感じる世界が一変するのでしょうね。