2024-03-20

木村亜也可の気怠さには理由があった

木村亜也可は、深い理由があって、気だるい空気を出していた。

亜也可は、どの瞬間を切り取っても、食事を終えた猫のように気だるい雰囲気を漂わせていた。彼女が機敏に動いたり、何かに追われる姿を想像することは誰にもできなかった。寝坊した朝にも食パンを齧りながら駆け出すのではなく、手挽きのミルで珈琲を淹れ、お気に入りの詩集を一節読み、フロスで念入りに歯を掃除してから動き出すという始末だった。

彼女は、二足歩行動物としては珍しく、立つことよりも横たわる姿勢を好み、雲を眺めたり夢を見ることに多くの時間を費やした。接客態度の悪いインド人ウェイターのように、一切の無駄な動きをせず、相槌も必要最低限しか行わなかった。一度気を許した相手には何時間でも話をしたが、非冒険的で退屈な相手とは、ろくに口も利かなかった。

それでも、亜也可には人の心を惹きつける何か特別なものがあった。アントワーヌ・ヴァトーの甘くアンニュイな絵画の世界のように、彼女の気だるさは、鬱屈さからくるものではなく、意図して脱力しているように見えた。合気道の達人が「えい!」と拳を突き出さないように、あるいは茶道を追求する者が「せいや!」と力いっぱいお茶を立てないように、全身の力を抜くことが心の声を聴くことに繋がると考えていたからだ。

彼女にはそうした哲学的な魅力があり、綺麗な言葉を何ダースも持ち合わせていた。時折、大量の本を詰め込んだリュックを背負って旅に出かけ、気の向くままにページをめくっていた。そうして気の利いた一節があるとそこに鉛筆でしるしをつけ、ありがたいお経みたいに記憶していた。

亜也可は小さな頃から、成功や勝利、合格といった結果にこだわりを持たなかった。彼女が求めているものは、行為そのものに幸福を見つけようとする内的な姿勢であり、それはしがらみが増えるほど困難になると感じていた。たとえばバスケをするなら、得点や勝敗が重要なのではなく、頭で描いた投げ方を身体で描けたかに意識を向けた。ドライブをするなら、目的地に着くことよりも、道中の風景や感情の移り変わりを慈しんだ。《生き方は簡潔に思考は複雑に》という言葉が彼女の矜持だった。

亜也可を見ていると、世の中には二種類の情熱があると気付かされる。全身に酸素を取り込み、肉体を燃やしながら舞う踊り子のような情熱。あるいは目を閉じ筋繊維を緩め、意識を落として神を宿そうとする巫女のような《静かな情熱》。脱力した彼女は、後者の意味において極めて情熱的な女性なのかもしれない。

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