2024-01-16

小柴正浩は終わらない夏休みを満喫していた

小柴正浩は、終わらない夏休みを満喫する少年のように遊んでいた。

私からみた小柴氏は、《終わらない夏休み》と《使いきれないお年玉》を同時に与えられた少年のようだった。還暦を迎えてもなお、少年の目からみた世界は希望に満ちていて、自身の働きかけ次第で何でも叶うと確信していた。ちょうど閉店後の清掃員が、点検のチェック・ボックスをひとつずつ塗りつぶすみたいに、彼も「あれがしたい」や「これがほしい」を順繰りに叶えていた。

小柴氏はいつも忙しなく街から街を移動していた。お立場もお立場なので、当然に仕事で忙しいのだろうと私は思っていた。しかし実際のところは、みかん狩りをしたり、ワイナリーを訪れたり、山羊に餌を与えているばかりで、特にこれといった仕事をしている様子はなかった。はっきりいって、夏の日のキリギリスの方が精一杯やっているように思えたくらいだ。

しかし何度かご一緒させていただくうちに、小柴氏には仕事と遊びの間に境がなく、ただ全てにおいて妥協がないだけなのだと理解した。たとえば森を歩いていて、そこに美しい泉が現れたのなら、どれだけ危険ですよと説得しても、彼は頭から飛び込むのだ。登山に行けば、みなで引き止めても険しい方の道を突き進み、餅つき大会があれば、若手を差しおいて率先して杵を振るうのだ。《立ち入り禁止》や《混ぜるな危険》の言葉には逆に火が付いてしまい、その先に何が起きるのか、自分の目で確かめなければ気が済まないのだ。

彼のそうした姿勢は、お金の使い方においても一貫していた。著名な時計や車には、ほとんど何の関心も示さず財布を閉ざしたが、ひとたび心躍るものに出逢えば、もぐらたたき名人がやるような速さで札束を積み上げた。「応援したい店を見つけたんだ」と、店舗の利権ごと買い占めるような勢いで通い詰めたり、「この丘にホテルを建てるんだ」と、まるで少年がモノポリーで不動産を買うように迷いなく資本を投下した。

小柴氏の生き様は、そのように純粋無垢だったので、私は彼が余命宣告を受けた患者かなにかで、この一年の間にやり残したことを果たそうとしているのかと慮った。しかし実際は、持病のひとつもないどころか、人間ドッグで「何しに来たの」と言われるほどの健康体で、ただ好奇心を忘れていないだけだった。彼は金融の世界で伝説的な成果を収めたが、もしかすると、遠足のために三百円を握りしめた子どもが、わくわくした気持ちで駄菓子を選ぶように、心の声に従って投資先を選んでいたのかもしれない。

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