2024-04-01

浅野凌太は経費を使えと税理士に叱られていた

浅野凌太は、もっと経費を使えと税理士に叱られていた。

次の予定が近づいてきたので、「では、そろそろ」と、テーブルの伝票を取ろうとしたが、どうにも見当たらない。すでに凌太が済ませていたからだ。食事中に彼が席を立った様子はなかったので、いったいどのタイミングで会計が執行されたのか皆目見当もつかないが、手際の良い凌太の手にかかれば、マジシャンが軽い余興として空中シャッフルをするようなものなのだろう。念の為、種明かしを求めて目線を送ってみたが、彼は「貴方が気にするべきことは何もありません」と言わんばかりに、首を横に振るだけだった。

せめてご馳走になった礼を伝えると、凌太は「税理士に経費を使えと言われているんです」と爽やかな口調で述べた。「だからご馳走ではありません。経費です」と。続けて「表にタクシーが迎えに来ています」と一言。その口調は「秋には鮭が産卵しに戻ります」とか「春には杉の花粉が飛びます」といった具合に周知の事実を語る時のさっぱりとした言い方だった。支払いも済んでいるので、どうぞ好きなところまで乗ってください、もちろん経費なので気を遣わないように、と付け加えられた。車内には手土産と手紙まで用意されていた。私が呑気に家で靴下を選んでいるときには、もう何もかも仕込みは終わっていたのだ。もし、会計をスマートに済ませるコンテストが開かれたなら、成人男性の部で、凌太は文句なしに一等を取るだろう。

念の為、補足しておくと、凌太は未だ二十歳そこそこの学生であり、お世辞にも稼いでいるという様子ではなかった。税理士の必要性はおろか、納税の対象者なのかさえ疑わしかった。それでも彼は、自分から誘ったのなら、たとえ相手が誰であろうと、余計な気を遣わせるのは公平ではないと考えているようだった。さもなくば、二度目の誘いに応じてもらえないじゃないかと。いささか自戒的な考え方ではあるが、たしかに凌太からであれば、次の誘いが、ズワイガニ食べ放題付きバスツアーでも嬉々として参加するだろう。

翌日ワインの酔いも醒め、正常な感覚になった私は、前途洋々な若者に多大な負担をかけ、一方的に尽くさせてしまったという事実に、どこか居心地の悪さを感じていた。心理学的に言えば《返報性の原理》が見事に働いていた。凌太にしてやられたこと以上にやり返しをしなければ、きっと私に掛かった呪縛は外れないのだろうと。このようにして、私と凌太は、おもてなしのやり返し合戦を開幕することになったのだ。

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