2024-04-20

岡田尚也はモテない絶望から命懸けで這い上がった

岡田尚也は、モテない絶望から命懸けで這い上がった。

十七歳の尚也は絶望の淵にいた。恋に落ちたクラス・メイトに渾身の告白をするも、まるでキャッチ・セールスでも断るかのように、さっぱりと振られてしまった。あなたと付き合うくらいなら、野良猫でも飼うわと言わんばかりに。純朴な尚也は諦めきれず、いつかわかってくれると、何度も何度も想いを伝え続けた。断られるたびに、気持ち悪い、生理的に無理、吐き気を催すなど、言葉のナイフで切り付けられ、悪評が学校中にばら撒かれた。校長室に呼ばれ《金輪際、彼女には近づきません》と誓約書まで書かされた。誰もが尚也に指を刺して嘲笑い、彼の居場所はどこにもなくなった。自らが蒔いた種だとは言え、多感な思春期の青年には、あまりに厳しい現実だった。

好きな人から愛されないことが、これほど惨めなことなのか。尚也の自我は崩壊し、悪魔に魂を売ってでも黒魔術を使ってでも、女性から惚れられる男になると誓いを立てた。その日から出来うること何でも取り入れた。抜かりなく清潔感を保ち、都会的な服に着替え、凛々しい身体作りも始めた。そして何より、腰を抜かすほどの美女を前にしても、揺るがぬ自信と対話ができるように、気を失うような数の女性とデートを重ねた。毎日渋谷に出かけ、何万名もの人に声をかけ、数千件の連絡先を交換した。メールに電話、飲み屋にクラブと、全てを犠牲にしてモテることだけを探求し続けた。

数年後、彼はもう惨めな男ではなくなっていた。尚也が声をかけると、それがどのような種類の女性であっても、三分とかからず激しい好意を持ったのだ。(この世界の大多数を占める)ナンパを迷惑だと思う者の中には、無視を固く決め込んだり、怒鳴り散らすこともあった。しかし始まりがどうであっても、尚也の本能に働きかける話術の前では、眠気や空腹を我慢できないのと同じように、理性で抗うことは不可能だった。出逢って数分で自宅に招きたいという女性も少なくはなかった。周りで目撃した者たちは、そんな尚也のことをアーティストだと呼ぶ有様だった。

尚也の元には、かつての自分のような惨めな男たちから、山のような相談の手紙が届いた。尚也はその声に応えるため、インターネットに図書館を立ち上げ、そこに全てを記録した。最寄りのバス停で見かけたあの子に声をかける実録から、女心を燻る正しい相槌の打ち方、社内恋愛完全マニュアルまで、実に793本の記録が保管されている。命を削るほど《モテ》に向き合ってきた奇才の摩訶不思議な書斎は、今日も何万人もの閲覧者で賑わっている。

 

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コメント1件

  • 貴子 says:

    「モテ」は技術と経験がものを言うのですね。主人は大学生の頃にナンパの技を女性経験100人越えの師匠から教わり、実践を重ねていたようで、そのおかげで、仕事中でありながら私にさっと連絡先を渡すという技を繰り出し、見事私は釣られましたから。
    モテの技術習得は子孫繁栄の為にも、最重要ミッションかもしれませんね。

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